YOKKO's Blog

アラサーの仕事論、書評、ランニング

【書評】「室町無頼」は現代にも通じるメッセージが沢山散りばめられた歴史小説。

 

 こんにちはよっこです。

 

今日は垣根涼介さんの歴史小説、「室町無頼」を読んだ感想を綴ります。

 

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舞台は寛正二年(1461年)の京都。応仁の乱が起こる少し前の室町時代です。

主人公は表紙の六尺棒を担いだ少年「才蔵」。彼が生まれる4年前、室町幕府の六代将軍である足利義則が殺されます。殺したのは播磨、備前美作国三国の太守であった赤松満祐という男。しかしまた、赤松満祐もあっけなく幕府軍に討伐され、赤松氏は壊滅します。才蔵の父は解散した赤松家の牢人で、京都の郊外の山崎で村娘を孕ませ、生まれたのが才蔵です。

 

父と共に村厄介のような扱いを受けて育った才蔵は父の死後、土倉という当時の銭貸し業で生計を立てます。そんな中、ならず者の頭目でありながら、幕府から市中警護役を任される男「骨皮道賢」に見込まれ、身元を蓮田兵衛という男に預けられます。兵衛もまた、百姓の信頼を集め、秩序に縛られず生きる浮浪の徒です。

 

「骨皮道賢」と「蓮田兵衛」も実在した人物で、骨皮道賢は日本史上初の傭兵部隊を作り、幕閣に食い込んだ出自不明の男。蓮田兵衛は牢人社会の顔役で、一揆の首謀者として初めて史実に名を残した男です。

 

この二人から世を教えられ、壮絶な棒術修行の果て、才蔵は生きる力を身につけていくという物語です。

 

あらずじはこんな感じなのですが、タイトルにもある通り、本書の中には現代にも通じる生きるための大切なメッセージを随所に感じました。

 

例えば道賢が粥三杯で兵衛に才蔵の身元を売った場面。才蔵は「いくらなんでもわしの値が粥三杯とはひどかろう」と文句を言いいます。

それに対しての道賢のセリフ。

「よいか、誰もが最初は捨て値よ。買い手などおらぬ。ぬしもそうじゃ。生き様に芯がないからだ。」

「昨夜、言うたの。自分の頭で考えろ、己の道を立てよ、と。多少の腕や才覚があろうとも、自分が立つ道をろくに考えもせぬやつに、誰もまともな値札などつけてはくれぬ。挙句、土倉の用心棒などに成り果てる。命と体を張り続け、死ぬまで他人の顎でいいように使われる」

 

なぜかこの一文は自分に言われてるような気がしました(笑)。

 

また、才蔵が郷里の禅寺の和尚から説教される場面でのセリフ。

「よいか。多くの人の不幸の一つはの、今は分からぬことにまで、ろくに考えもせず、すぐに白黒を付けたがることにある。性急に敵か味方かを見分けたがる。所詮は下司の勘繰り、損得勘定よ。じゃがの、世の中にはすぐに答えの出ぬこともある。時に非であり、時に是でもあることがある。是非を超越したものもある。それは、状況によって賽の目のように変わる事もあるし、立場によっても変わる。死ぬまで答えが分からぬ事もある。」

「 が、悲しいことに人は存外その不安に耐えられぬ。揺れ動く自分の半端な立場に我慢ができぬ。自分でじっくりと考え、事象をゆっくりと煮詰めて判断をせぬ。その孤独で苦痛な作業に音を上げ、たちまちしびれを切らす。是が非かの、安易な答えを示してくれる者に、群れを成して一斉に縋ろうとする。また、そういう者どもに限って、自分の是と異なるものに非を鳴らす。挙句、無知と傲慢の石牢に入る。今の主がそうじゃ。大馬鹿じゃ」

 

これまた、現在の自分の状況に満足できていない人の心には刺さったのでは無いのでしょうか(笑)。私自身20代後半で、務めている会社にも慣れてきて、漠然と自分の人生はこのままでいいのかという不安がある中、この本に出会ったことに運命のようなものを感じました。

 

このような人生哲学のようなメッセージを抜きにしても、戦闘シーンの臨場感は圧巻です。未熟だった才蔵が様々人に出会い、様々なことを学び強くなっていく。歴史小説に苦手感がある人も読みやすい内容になっていると思います。