YOKKO's Blog

アラサーの仕事論、書評、ランニング

【書評】人間失格〜葉蔵は本当に人間失格なのか〜

こんにちは、よっこです。

 

今回は太宰治の「人間失格」の読書感想です。

 

今まで有名文学をあまり読んでこなかったのですが、Youtubeでオリラジ中田敦彦さんの「人間失格」を紹介する動画を見たのがきっかけで、これを機に文学小説も読んでみようと思いました。

 

本屋に「人間失格」を探しに行って気づいたのですが、出版会社によって表紙が全然違うんですね!

 

私はこの集英社文庫小畑健さんがイラストしたものを購入。デスノートのイラストもしていた方で、なんとなく表紙の青年が夜神月にも見えますね。笑

 

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あらすじ

「恥の多い生涯を送ってきました」三枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていた。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性と関わり、自殺未遂を繰り返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝でもあり遺書でもあった。作品完成の1ヶ月後、彼は自らの命を断つ。時代をこえて読みつがれる永遠の青春文学。(背表紙より引用)

 

あらすじにもある通り、作品完成の直後に太宰治は自殺するのですが、そのことを考えながら読むと太宰治の心の葛藤がひしひしと感じられます。

 

物語の構成は「私」が「大庭葉蔵」という男の手記を読んでいくという話。ただ本の中で「私」が出てくるのは冒頭部分と最後だけ。ほとんどの部分が「大庭葉蔵」の手記になっています。

 

おもしろいのが、大庭葉蔵が物語で経験していくことは実際に太宰治の実体験が元になっているところです。冒頭に出てくる「奇怪な笑顔の少年の写真」も自身の幼少期の写真に該当するものがありますし、女性からモテたエピソードや、付き合っている女性と海に心中したことも太宰自身の経験からきているみたいです。

 

要は太宰が「大庭葉蔵」という自身の別人格を作り、死の直前に自身の人生を振り返って、生きる上で感じた社会からの疎外感、生きづらさを体現したかったのかなと思いました。

 

印象に残った箇所・ポイント(ネタバレあり

女は、男よりも更に、道化には、くつろぐようでした。自分がお道化を演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、それに自分も男のひとに対し、必ず適当のところで切り上げるように心がけていましたが、女は適度という事を知らず、いつまでもいつまでも、自分にお道化を要求し、自分はその限りないアンコールに応じて、ヘトヘトになるのでした。実に、よく笑うのです。いったいに、女は、男よりも快楽を余計に頬張ることができるようです。

 

葉蔵は幼少期から自身の願望がない子供で、親から東京土産で何が欲しいか尋ねられても、親が喜びそうな回答をする、無邪気さを装って周囲をあざむいてきた少年でした。

 

この無邪気さを装うことを葉蔵は「お道化る」と称しています。そして上記の文は、道化はより女性にウケるといった発言の文章です。

 

葉蔵は、家族や親戚には女性が多く、幼い時から女とばかり遊んできた経験を持ちながら、「自分には、人間の女性のほうが、男性よりも数倍難解でした」という発言もしています。

 

しかしながら葉蔵は、なぜかモテるのです。(笑)

 

ここで感じたのが、男と女の決定的な違いです。のちにさまざまな女性と関わり、話が進展していくのですが、なぜここまで葉蔵が女からモテるのか、男である私には全く理解できませんでした。

 

 

ヨシ子が汚されたという事よりも、ヨシ子の信頼が汚されたという事が、自分にとってそののち永く、生きておられないほどの苦悩の種になりました。

 

人を信じる事ができない葉蔵にも、奥さんができるのですが、お相手は葉蔵も「人を信じる天才」と称しているヨシ子。

 

 

上記の文はのちに葉蔵の奥さんになるヨシ子が別の男に犯されているところを目撃してしまうシーン。

 

 

自分とは対照的なヨシ子が持つ、「無垢な信頼心」によってヨシ子自身が汚され、葉蔵はさらに人の生きることの不条理さを味わってしまうのです。

 

すごく共感したのが、葉蔵は事件の後、人妻が犯された本をいろいろ探して読んでみるのですが、ヨシ子ほど悲惨な犯されかたをしている女は一人もいなかったと考えたことです。ヨシ子に少しでも恋心があれば、葉蔵の「許す、許さない」という判決に話は収束していけるのですが、今回そうでなかったというのが厄介なところ。

 

皮肉にも葉蔵が人の美質と考える、「人を信じる」ことをしすぎてヨシ子が犯されてしまいます。

 

もし自分が葉蔵の立場であっても、深く絶望していると思いますし、怒りの矛先がないのがすごく苦しいだろうなと思いました。

 

 

葉蔵は本当に人間失格なのか 

最後に、葉蔵は本当に人間失格なのかという事を考えていきます。なぜ『人間失格』が夏目漱石の『こころ』と並んでベストセラーなのか、それはズバリ誰しも一つは葉蔵と共感できる部分があったからではないでしょうか。

 

また、酒や風俗に溺れたり、恋人と心中したり、睡眠薬中毒になったり、いろいろ自虐的に散々堕落してきたという風に描かれていますが、よくよく考えると葉蔵が直接人を傷つける描写は一つもありません。むしろ、常に人の気持ちを考え、喜ばせる事を考えている良い人にも見えると思います。

 

自分が自分に「人間失格」という烙印を押しているだけで、他者はそのようには思っていないのです。

 

実際に物語の最後は、葉蔵の行きつけのバーに従事するマダムの「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、・・・神様みたいないい子でした」というセリフで締めくくられます。

 

 

それでも、葉蔵(太宰)は自分を認めてあげる事ができなかった。全てを不幸としか捉える事ができなかったのだと思いました。

 

 

まとめ

文学小説には少し抵抗があり避けてきたのですが、読んでみて今でもベストセラーである所以がわかったような気がします。ストーリーテリングもすごく巧妙で、意外と一気に読み進める事ができました。これをきっかけに他の日本・世界の文学小説も読んでみたいと思いました。